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松本山雅 広報担当交代 [松本山雅]

毎日アップされている、オフィシャルのキャンプレポート。昨年と比べると雰囲気が変わったと思いませんか?

2012年から3年間に渡って広報を務めてきた元山雅戦士・小澤修一氏に代わり、本年2015年から元山雅戦士・小林陽介氏が広報担当として活動することになりました。(と言っても、広報は1人ではなく、引き続き地域時代からの苦労人・ちゃん○さんは引き続き担当となっています。)

そんな新広報となった小林陽介氏をご存知ない方もいらっしゃると思いますので、山雅との関わりを交えながら紹介したいと思います。

えっと、その前に3年間広報を務め、J1昇格と共に広報卒業となった小澤修一氏について。えっ、良く知っているって?まあそういわずに(笑)

◎小澤修一 元広報担当
 まあ略歴については、Wikipediaをご覧ください。こちらの方が詳しいのでw。
 松本山雅との関わりは2005年から。静岡FCで活動していた小澤修一選手でしたが、松本山雅のセレクションに参加したのか、強化担当者に声をかけられたのか(すいません、この辺は調べて明確にします)、縁あって、北信越リーグ2部に所属していた松本山雅F.C.に加入。本人曰く「聞いていたのと実際では全く違う環境で、すぐに騙されたと思った」とか(苦笑)。

 その後、2005年に北信越リーグ2部から1部昇格、2009年に北信越リーグ1部から念願のJFLへ昇格に貢献、2010年JFLで引退するまでの6年間、松本山雅戦士として、クラブのために多くの貢献をしてくれた選手です。

 オザッシュに関しては、選手時代に記憶に残る試合がいくつかあります。2部から県リーグへの降格を阻止したPK。パルセイロとの天皇杯長野県決勝戦でのゴール。2008年の天皇杯湘南戦の最終PK。JFL昇格を決めたアルウィンでの歓喜。まあ6年間苦楽を共にしたのですから、ここでは書ききれないくらいの印象に残る試合・ゴールがあるんですけれどね。

 引退後は、松本山雅の育成コーチとして、働きながら山雅との関わり合いを続けてくれました。そういえば、オザッシュは2005年から三洋エプソンイメージングデバイス(当時)の社員として働きながら山雅戦士として頑張ってくれていたのですよね。三洋イメージングデバイスと山雅との架け橋をオザッシュをはじめ、斎藤智閣選手、竹内優選手、三栗寛士選手たちが担ってくれたことはここき記録しておきたいと思います。

 オザッシュが広報担当となったのは、2012年J2元年から。当時は育成コーチとの兼任で、体的にも大変だったと思いますが、それがあったからこそ翌年2013年から2年間広報主担当として頑張ってこれたんだと思います。元山雅選手だったからこそ、サポーターの気持ちも汲み取って現役選手の気持ちを尊重しながら、広報としてチームの情報をアップしてくれたりしてましたからね。選手との距離を広報ブログで身近に感じた方も多いのではないのでしょうか。
 ちなみに彼の文才は、2008年シーズンから始めたブログ(オザログ)の成果の現れだと思ったりもしています。

それでは本題。オザッシュのこと以上に長く書けるか自信がないのですが(笑)新しく広報となった小林陽介氏について。

◎小林陽介 新広報担当
 略歴については、Wikipediaをご覧ください。
 松本山雅との関わりは2009年地域リーグ1部時代から。浦和レッズジュニアユース→ユース→浦和レッズトップチームと順調に駆け上がった小林選手。浦和では出場機会に恵まれなかったものの、その後JFL横河武蔵野でセンスを磨き、ロッソ熊本(のちのロアッソ熊本)ではJ2昇格に貢献。松本山雅の強化担当の声掛けで、2009年から松本山雅に加入し、新体制発表ではその目の輝き具合から「ひかるちゃん」(西田ひかる)と呼ばれたことも。

 地域リーグの2009年には柿本選手とのツートップで活躍し、全国社会人サッカー選手権経由で地域リーグ決勝大会優勝メンバーとしてJFL昇格に貢献します。2010年JFL元年は怪我もあって16試合2得点にとどまりクラブを去ることなりました。この時「無給でもいいから山雅に残りたい」という気持ちを見せてくれたくらい、松本山雅の熱いハートとして2年間活躍してくれたし、気持ちの面でも印象に残った選手でした。この2009年2010年がオザッシュと選手として重なる2年間でもあります。その後、2011年から3年間横河武蔵野の選手としてプレーし、2013年に現役を引退しました。

 陽介に関しても、選手時代に記憶に残る試合がいくつかあります。2009年天皇杯浦和レッズ戦@アルウィンでの選手紹介次の大ブーイングにニヤリ( ̄▽ ̄)、同年の崖っぷち・全国社会人サッカー選手権、栃木UVAとのPK戦で落ち着き払ったゴール、同大会準決勝長野戦でのゴール。そして2009年地域リーグ決勝大会での歓喜。オザッシュと同じく、ここでは書ききれないくらいの印象に残る試合・ゴールがあるんですが、もう1つのゴールを挙げるとすれば、2011年横河武蔵野の選手としてアルウィンにやってきた陽介。見事なヘディングゴールで山雅サポーターを沈黙させた試合は、本当に悔しくもあったし嬉しかった試合でした。あ、もう1つ、2013年?の天皇杯横河武蔵野vs柏レイソル戦。陽介の応援に行ったつもりが、ロック総統と一緒にサッカーの楽しさを思い知らされたっていうね(笑)。

 引退後、2014年に縁あって松本山雅の育成コーチとして着任。今年から株式会社松本山雅の社員として、山雅との関わり合いを続けてくれることになりました。

 普段は物静かな小林陽介広報担当ですが、2009年から2010年に山雅戦士としてピッチで見せた熱さは、今年のキャンプレポートでも、ジワリジワリと表現しつつあり、今後の展開に期待できると確信しています。元山雅戦士、サポーターの気持ちも汲み取って現役選手の気持ちを尊重しながら、広報としてチームの情報をアップできる能力と文才、確実に広報の系統はオザッシュから引き継がれ発展してくれるはずです。

 ちなみに彼の文才も、ブログ(小林陽介のブログ『陽はまた昇る』~quality of life ヒトトノツナガリ~)の成果の現れだと思ったりもしています。
ということで、新旧広報担当の紹介をしたところで、この2人が一番熱く山雅戦士として輝きを放った、地域リーグ決勝大会の様子をリンクで紹介しながら、終わりにしたいと思います。









松本山雅サポーターの皆様、新旧広報担当のこれからの活躍をサポートしつつ、この2人と共に松本山雅を支えていただくよう、宜しくお願いいたします!

バーイ、センキュー!!
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