山雅の歴史 その1 [歴史]
※当時を知る方から伝聞形式ではありますが、山雅の歴史について色々伺う機会があり、自分のメモとしてここに聴いたことを記載していきます。ですので、(自分の聞き方や表現の仕方が悪くて)100%真実でない可能性もあります。
元旦の信濃毎日新聞に、我々新参者サポーターにとっては伝説となっている『喫茶 山雅』の入り口写真が掲載されているのをご覧になった方もいらっしゃるかと思います。入り口のドアには“純喫茶”という今ではあまり使われない懐かしさを感じる言葉も使われていますね。
その喫茶 山雅ですが、入り口の前に1m幅くらいの川が流れていて、いつもその川を渡って山雅の入り口に入っていたそうです。入り口を入って右側がカウンター、左側がテーブルと椅子が並べられており、右側のカウンターに山雅創設者がいつもたむろし、左側のテーブルには登山客でごったがえしていたそうです。
つづく
元旦の信濃毎日新聞に、我々新参者サポーターにとっては伝説となっている『喫茶 山雅』の入り口写真が掲載されているのをご覧になった方もいらっしゃるかと思います。入り口のドアには“純喫茶”という今ではあまり使われない懐かしさを感じる言葉も使われていますね。
その喫茶 山雅ですが、入り口の前に1m幅くらいの川が流れていて、いつもその川を渡って山雅の入り口に入っていたそうです。入り口を入って右側がカウンター、左側がテーブルと椅子が並べられており、右側のカウンターに山雅創設者がいつもたむろし、左側のテーブルには登山客でごったがえしていたそうです。
つづく