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2014年松本山雅F.C.退団スタッフ(7) 岸野靖之U-18監督 [ユースアカデミー・マスターズ]

2年間に渡り、松本山雅U-18を指揮した岸野靖之監督が、来季からJ3で戦うカターレ富山からの熱いオファーに応える形でU-18監督を退任することとなりました。

 >岸野靖之氏 松本山雅FC U-18監督退任、並びにカターレ富山監督就任のお知らせ(松本山雅FC)

◎岸野靖之 / Yasuyuki Kishino
■生年月日:1958年6月13日
■出身地:和歌山県
■選手歴:三菱重工業サッカー部→読売サッカークラブ('90現役引退)
■指導歴:
 1991年 読売サッカークラブ:ジュニアユース監督
 1992年 ヴェルディ川崎:サテライトチームコーチ
 1993年 ヴェルディ川崎:サテライトチーム監督
 1994年~1998年 ヴェルディ川崎:トップチームコーチ
 (1994年 Jリーグ年間優勝/1996年 天皇杯優勝)
 1996年 ヴェルディ川崎:監督代行と
 1999年 ヴェルディ川崎:サテライトチーム監督
 2000年 ヴェルディ川崎:ユースコーチ
 2001年~2003年 東京ヴェルディ1969:サテライトチーム、トップチーム:コーチ
 2004年 東京ヴェルディ1969:トップチームコーチ、サテライトチーム:監督(2004年 天皇杯優勝)
 2005年~2006年 サガン鳥栖:ヘッドコーチ
 2007年~2009年 サガン鳥栖:監督
 (2007年通算成績:21勝9分18敗J2リーグ8位)
 (2008年通算成績:19勝7分16敗J2リーグ6位)
 (2009年通算成績:25勝13分13敗J2リーグ5位)
 2010年~2012年 横浜FC:監督
 (2010年通算成績:14勝5分11敗J2リーグ6位)
 (2011年通算成績:10勝8分18敗J2リーグ18位)
 (2012年通算成績:1分2敗J2リーグ22位 ※2012年3月18日時点)
 2013年~2014年 松本山雅FC U-18:監督
■ライセンス取得:2005年JFA公認S級コーチライセンス取得
■本人コメント:
『松本山雅FCを愛する皆さんいつも熱い応援ありがとうございます。 反町監督の素晴らしい指導のもと、選手、スタッフ、フロント、ボランティアの方、サポーター、スポンサーの皆さん等の全ての一致協力でJ1へのステージをものすごいスピードで勝ち取りました。
 松本山雅で仕事が出来てとてもありがたいですし感謝の気持ちでいっぱいです。そんな松本山雅でいつまでも仕事をしたいと思っていましたがこの度カターレ富山からお話をいただきました。とても悩み大月社長、加藤GM、高橋理事長、山崎ダイレクターに相談した結果、自分のチャレンジに賛成をしていただきました。指導者はいつもチャレンジ精神をも持ってやっていくのが大切と常々考えています。昨年もいくつかのクラブからとてもありがたいオファーを頂いたのですが山雅の育成に対してまだ何も貢献できていない中でクラブを離れることは出来ませんでした。
 現在は子供たちも目覚しい成長を遂げ進むべき道を理解してきています。今後もスピード感をもって積み上げていけば近い将来必ず育成からトップチームに進み活躍できる選手が出てくることは確信しております。カターレ富山はJ3に降格してしまいましたが強いチームに生まれ変わろうとしています。そこに自分の力を必要としてくれました。その期待に応えたいと思います。
 今まで協力してくれたスタッフ、そして本当に頑張ってくれた子供達と別れるのはとても辛いですが乗り越えなければいけません。今後縁があり松本山雅で仕事ができるためにも厳しい世界に身を置き、力をつけてまた必要とされるようにチャレンジしてきます。
 山雅ファミリーは最高です。本当にありがとうございました。』

個人的に岸野U-18監督との最初の接点といえば、2011年の天皇杯4回戦@アルウィン。鐡戸選手や飯尾兄選手に慕われていたり、鳥栖サポーターさんからの話を聞いていて対戦を楽しみにしていました。いつも赤い帽子をかぶっていて「赤帽」って呼ばれていたこともあって、本当に赤い帽子をかぶってくるのか?っていうのも楽しみにしていましたね。で、期待に応えてくれるかのように、真っ赤な帽子をかぶって指揮をしていたわけですが(笑)。

天皇杯後の会見で、アルウィンの芝の状態を尋ねられて「Jに行くなら、この芝じゃダメ!」と一喝したことも印象に残っていたのですが、そのおかげもあってか、その年の終わりにかけてアルウィンの芝の状態も良くなって(サブグランドから芝を持ってきたり)、スタッフの意識も変わったように思いました。アルウィンの芝環境にも一石を投じて下さった恩師かもしれませんね。

翌年の2012年に横浜FC監督を退任。まさか松本山雅U-18の監督になるとは…ね。

私はこの2年間でU-18の試合を数試合しか観ていませんが、カターレ富山の監督に就任することが発表された後のU-18の子たちのツイートを見る限り、この2年間で松本山雅U-18に岸野靖之監督が植えつけていったものは、確実に松本山雅育成にとって大きなものだったし、これから着実にその芽を成長させていかなければならないし、高校生世代という多感な時期にU-18の選手を素晴らしい人間に育て上げて下さったんだなぁ、と確信しているわけです。

あまり写真はありませんが、岸野さんが松本山雅U-18監督として2年間奮闘してくださったという記録を写真で残しておきたいと思います。

 >2014/10/18 2014Jユースカップ グループF 第2試合 vs.Y.S.C.C.横浜U-18(空港人の棲家)

10月18日にアルウィンで行われたJユースカップが、私が観た最後の岸野U-18公式戦となりました。

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ピッチ練習で選手の状況を見守る岸野監督

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岸野監督を支えたスタッフと共に戦況を見守ります。

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選手に指示をおくる岸野監督

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試合後の「勝利の街」 岸野監督は最初は遠慮していましたが、ゴール裏のサポーターに促され選手と共にダンス!

選手たちにはその場では語っていませんでしたが、試合後にゴール裏にあいさつに来た岸野監督は「応援ありがとうございます。正直褒められた内容じゃなかったけれど、こういう経験(みんなで勝利して喜びを共有する)をもっとさせてあげたいんだよ」と淡々とではあったけれど熱く話して下さっていました。

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まあ、試合後、選手にはバシっと厳しく締めていましたが。

ツイッターからですが、岸野監督とのお別れ会(今季の打ち上げ?)が開催されたようで、最後にU-18の大好きなチャント「アルプス一万尺(岸野バージョン)」をみんなで大合唱。その時、岸野さんめっちゃ泣いてましたとのこと。その様子からも、自分が道半ばで去る寂しさと指導者として富山さんからオファーをもらったことに対する情熱が垣間見えるような気がしました。それにしても、この時の岸野さん、すごくいい表情しているなぁ。

岸野さん、2年間本当にありがとうございました。来季はカターレ富山で思いっきり暴れてください。隣県ですし長野にも試合に来るでしょうから、しっかり応援させていただきます。赤帽復活にも期待してます(笑)

「負けたらアカン!」


おまけ

みなさんもご存知の通り、トップチームの公式戦でU-18の選手は率先してスタジアム掃除などをしてくれました。

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そんな合間に、ちゃっかり岸野監督自らが選手たちの撮影会を開催

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これはスマホなのか、iPadなのか、「赤」が好きなのですね(笑)

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岸野監督とは、地元民しか知らない道ですれ違うことしばしば。しかもほとんどがお互いチャリっていうね。で、その後ろ姿が信州松本に溶け込んでいて、なんだか嬉しかったわけで。帽子は黒だけれど、ジャンバーは赤っていう(笑)

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